剱岳 早月尾根 日帰り

剱岳  標高2,999m  標高差約2,259m  歩行距離約16㎞  yahoo地図  コースmapへリンク

馬場島(4:40)⇒標高1,000m(5:08)⇒標高1,400m(6:03~6:15)⇒標高1,800m(6:48)早月小屋(7:52~8:05)⇒
標高2,600m(8:58)⇒標高2,800m(9:40)⇒別山尾根分岐(10:14)⇒剱岳(10:20~10:48)⇒別山尾根分岐
(10:53)⇒早月小屋(12:30~12:40)⇒標高2,000m(13:03~13:13)⇒標高2,800m(14:34)⇒馬場島(14:55)

 (歩行時間8時間57分:全所要時間10時間15分 ※(CT:15H)  am4:40~pm14:55 

歩行時間は単行動なので調子や気分によって違いますので参考にはなりません
剱岳は北アルプス北西に位置し、そのアルペン的山容は国内でも随一である。厳しく天空を切り裂く姿そのままに、数多くある日本の名山の中でもとりわけ厳しい登山を強いられる。同時に日本の近代アルピニズム発祥の地であり、日本中のクライマーに愛される岩と雪の殿堂でもある。平成16年、国土地理院により三角点が設置され、GPS測量により標高が2998mから2999mに変更された。 剱岳の初登頂は1907年陸地測量部が長大な残雪の谷、長次郎谷が始めての登頂ルートとなった。しかしそれ以前にも多くの修験者達が登った形跡が山頂などにも残されていた様子で、昔の人はどのように登ったのかは不明である。
前々から予定していた念願の早月尾根から、剱岳の日帰りを心地良く歩いてきました。天候も味方してくれましたので、森林限界を越えてからのパンチある歩きは、眺望を眺めながら楽しさ倍増でした。深谷市から馬場島登山口のアプローチは、数年前に行った能登半島旅行に匹敵する位の距離があります。往復750kmと10時間近い運転は、久し振りの忙しいハードなドライブ気分でした。
仕事を早めに切り上げ、午後3時に仕事先からスタートです。本庄ICより関越・上信越・長野自動車道・北陸自動車道を乗り継ぎ、滑川ICで下り、馬場島登山口へと向かいます。馬場島登山口にはキャンプ場や馬場島荘があり、整備されています。WC&水場も2ヵ所あります。午後8時前に到着して、登山口近くの小振りの駐車スペースに車を止め、車中泊の準備です。付近にはブヨが生殖していますので、殺虫剤は必須です。登山口付近からヘッテンの光が5個位見え、こちらに近づいて来ます。皆さん凄く辛そうで黙々と通り過ぎ、馬場島荘方面へと下がって行きました。スマートフォンで毎度の如く、天気予報等調べようと思いましたが、残念ながら完璧な圏外モードです。仕方なく、ワインとトリスのハイボールを美味しく頂き、お休みモードに入ります。

早朝4時過ぎに起き、パンを無理やり齧ってゼリーで流し込みます。ヘッテンが無くとも歩ける薄暗い4時40分頃歩き始めました。早月尾根の案内表示に従い進行して行くと、名文句が書かれている大石碑があります。「試練と憧れ」を三回復唱し、大きく深呼吸をして歩き始めます。道中には水場はなく、早月小屋で販売しているだけですので、今回も6リットル積んで飲み放題状態です。

最初からいきなりの急登が続きます。流石は北アルプス三大急登、一番の難所の早月尾根だな~ぁと感心したのも束の間で、コースは一挙に緩くなり、1000mと書かれた標識がある休憩スペースに到着です。ここからしばし平らなコースを進み、再び急登が始まります。山道の雰囲気は、北アルプスの山を歩いている気分は一切なく、実家の上州の低山を歩いているみたいな感じです。以降は200mごとに標高を示した標識があり、励みになります。
根っこが張られた岩交じりの山道に変わり、道幅も狭くなります。白毛門(谷川)の登りを連想するかのような樹林帯の中の急登です。大雪で長年圧縮された立山杉の巨木が、随所でオブジェのようになっていて目を引きます。風通しが悪く、予想通り暑くなり、喉が渇きます。気分的には沢山水分補給をして、ザックを軽くしたい所ですが・・・。時折、木々の隙間から周辺の景色が見えて来ます。

奥大日岳、中大日岳、大日岳方面がちらほら見えてきます。登山道は土嚢が多く用いられていて整備された跡が残っています。丸太の古ぼけた階段がポツンとあるのが印象的でした。ここまで2人のハイカーを追い越して、1人のランナーに抜かれました。
標高1,800m付近から、山道に岩が多くなってきましたが、まだまだ樹林帯を抜ける気配はありません。振り返り馬場島方面を見下ろすと、随分登って来たのが分かります。
山道のまん中に、「山」と書かれた三角点らしき物があります。明治に柴崎芳太郎測量官が埋設したと云われる三角点と間違われる標石で、何処となく新しい感じがします。ここから少し歩くと、避難小屋跡スペースがあり、もうひと歩きで標高2,000メートル地点に到着です。
日が高くなるに従い、雲は少なくなり快晴となって来ました。途中に池塘があり、小屋手前のピークから振り返って眼下を望みます。
7:52分、標高2,200m地点の早月小屋に到着です。ご主人が小屋の前にいますので、挨拶を交わすと「午後から天候が崩れるかもしれないよ!」と言っていました。小屋の前には椅子とテーブルがありますので休憩場所として最適です。ザックの中の500mlのペットボトル2本をハイドレーションタンクに補充し、チョコバーを齧ります。 水や飲料は早月小屋で販売しています。小屋の後方から、剱岳の山頂方面がようやく見えてきました。
小屋を出発して程なくすると、室堂方面から風に乗って地獄谷からの硫黄臭がしてきます。森林限界を越え、室堂のホテル等の人工物が見えて来ました。
標高を上げ振り返ると、早月小屋が随分下になり、薄ら富山湾や能登半島が見えて来ます。ロープのかかる急登を過ぎると、残雪歩きになりますが、すべり止めの装着の必要は全くありません。登山道は、ハイマツや岩場の道へと変わって行き、気分は高まります。
見上げると、山頂にいる人の姿が確認出来るようになり、名峰剱に登って行く実感が湧いてきます。周辺の景色を眺め、ゆっくり味わいながら登って行きます。
鎖をよじ登って少しすると、標高2,800m地点に到着です。ここから早月尾根の核心部に突入です。基本的に足場は広く、しっかりしていますので難易度はそれほど高くはありません。岩場にペンキでしっかりマークされていますので、コースから外れることもないでしょう。※ガスで視界不良の場合は、極端に難易度は上がると思いますが・・・。
高標高の岩場と鎖場の連続になります。急いで登ると心拍数があがりますので、ゆっくりと登ります。時折下山してくるハイカーと交差しながら慎重に登って行きます。
左眼下に谷を巻くようなトラバース気味の鎖場が唯一、スリルを味わう鎖場です。足のステップ用にボルトが突き出ていますので片足を乗せて渡れば大丈夫です。もし、足のステップが設置されていなければ難儀な場所になります。岩場には、ハクサンイチゲが健気に咲いています。
途中の岩間から立山の前剱、剱御前、別山、大汝山、雄山、龍王岳、浄土山等の眺望が開けます。
長く鎖が張ってある場所付近が、通称「カニノハサミ」付近だと思います。昨年この付近で滑落事故と死亡事故が発生していますので、注意を払って登って行きます。
最後の鎖を登り上がると、前方に別山尾根との分岐の標識が見えてきました。早月尾根はガラガラだったのに、室堂からの登山者は続々到着して来ます。分岐標識は文字が完全に消えているので、帰りにガスでも巻いたら、分岐を間違えそうですね。※他に木製の分岐標識もあります。

眼下の前剱から、カニのヨコバイ、カニのタテバイと険しい岩稜帯を越えているハイカーの姿が見えます。この場所から眺めるととっても急峻に見えますが・・・。別山尾根から登って来た夫婦に話を伺うと、それ程大変では無かったですよ。と、笑って言ってました。
10:20分、剱岳山頂に登頂です。早月尾根では余り人がいませんでしたが、剱岳山頂では別山尾根から登って来た大勢の人で賑やかっていました。どのコースを選んでも、危険な箇所を越えなければ劔山頂には到達出来ませんが、予想以上に年配の方々や女性が多くいましたので驚きです。祠の前は大混雑ですので、山頂プレートを標高3,000m地点に持ち上げワンショット!です。
登山史としての初登頂は1909年、吉田孫四郎パーティにより長次郎谷から行われていますが、その2年前に、すでに陸地測量部の柴崎芳太郎たちが測量のため登頂しています。前人未踏の岩峰と思われていた頂上で、彼らは思いがけず槍の穂と錫杖、古い焚火の跡などを発見をしました。それは、奈良時代のものらしく、隣の立山とともに修験道の霊場だったと云われています。現在、立山町芦峅寺の立山博物館に保存されているそうです。映画「劒岳点の記」の撮影時、祠は一旦撤去され、現在の祠は近年新しくなったそうです。
2004年8月に新しく設置された三等三角点に記念のタッチ!です。そして三等三角点の設置により、剱岳の標高2999mであることが確定しました。柴崎測量官の四等三角点設置から実に100年以上の歳月が経っているそうですが、当時は急峻な為、三角点の標石を埋設できず測標だけの四等三角点の扱いになってしまいました。このような経緯を知れば感慨も大きいです。脇の岩に「剱岳S.56.7」と書かれていますが、何の日?登頂記念の落書きでは無さそうですが・・・。

何やら団体さんが怪しげなポーズを取っています。後方には前剱、剱御前、浄土山~龍王岳、左に雄山~大汝山~別山室堂に国見岳等が見え、遠く穂高連峰~薬師岳等が見渡せます。
立山の後方には槍ヶ岳と穂高連峰(左)。竜王岳・浄土山後方には先週登った鷲羽岳、水晶岳を始め、笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳(右)が見えます。
白馬三山から、不帰キレット-唐松岳-五龍岳-八峰キレット-鹿島槍ケ岳方面を望みます。
蓮華岳-ズバリ岳-針ノ木岳方面(左)        源次郎尾根方面(右)
山頂は冷たい風が吹いて寒くなります。賑やかですがコンロを使っている人も無いのでカップラーメンは諦め、粗挽きウインナーとチョコバーとゼリーで栄養補給です。そして早月尾根の岩場へと注意を払いながら下山です。
幾つかの鎖場を下がって行きます。イワベンケイを始め、沢山の高山植物を鑑賞しながらのんびり歩きます。





森林限界では綺麗な花々が咲いていました。一眼レフではない為、半分以上はピンボケのポツ作品となりました。
12:30分、早月小屋に到着すると山荘前ベンチは賑やかっていました。昼食休憩に入り、おにぎりを頂きます。山小屋の主人が言った通り天候が怪しくなり、ガスが巻いてきました。良いタイミングで山頂にいられた事に感謝です。 水4リットル、ゼリー3個を消化しましたのでザックが軽くなって来ました。
樹林帯の中に入り、黙々と標高を下げて行きます。ザレって滑る箇所が多分にありますので、足元に注意を払います。冬場の長い年月、積雪で圧縮された立山巨杉の異様な姿を再度見学しながら、改めて植物の生命力に脱帽です。
申し訳気分で数組を追い越しながら下がって行きます。標高1,000メートル付近のベンチまで下がってきました。ここまで下がって来ると、樹林体の中の山道は風通しが悪く、暑くなってきます。
14:55分、馬場島登山口に予定通り帰着です。「試練と憧れ」の石碑を、腰に手をやり改めて拝みます。これほど率直に早月尾根を表現する言葉はないでしょうね。そして自分との挑戦をいかに試練ではなく、精神力を高めプラス思考の憧れを持って望む事が大事だと思いました。ふとベンチに座っているご年配の紳士に声を掛けられます。「途中で爺さんと若い男子の二人組を見かけませんでしたか?」と、聞かれます。ふと思い浮かべると、下山時早月小屋で休憩をしている時、同じベンチに座っていた元気なご年配と、好青年の事だとすぐに分かりました。「山小屋前で休憩していましたよ」と言ったら安堵した表情に変わりました。
夏場の早月尾根は必要以上に汗を掻きます。温泉エリアまで1時間以上も掛かりますので、下の駐車場にある馬場島荘でお風呂(@500)に入り、汗を流します。内風呂のみで温泉ではありませんが、大変助かった!の一言です。宿泊をしてから早朝早月尾根を登るハイカーが数組チェックインしていました。サッパリしたところで、帰路(375km)の道程を高速道路を乗り継いで、居眠りしないよう頑張って帰りました。
 
おまけ
 早月尾根は以前から登ってみたかった、北アルプス三大急登の大御所です。
 ヤマケイの7月号で剱岳の特集と、8月号の日本の名急登特集は興味を注がれる内容でしたので
 意欲が増し、思いついたように強行的に剱岳の早月尾根へと向かいました。

 深谷市から登山口の馬場島までのアプローチは、
 往復750km、10時間近い運転だけでも、持病の腰が痛くなる程の距離です。
 久し振りに北陸自動車道を日本海を眺めながら、ドライブ気分で向かいました。

 早月尾根は水場が無く、早月小屋で唯一販売しています。
 スタート地点の馬場島の標高が740mと低い為、夏場の早月尾根の樹林帯は水分を沢山要します。   何時ものようにザックに6リットルの水を入れて、飲み放題的な状況にしました。
 今回は体力温存とバテ対策として、ハイドレーションタンクに粉末のポカリを解かして
 入れました。ゼリーやチョコバー、カリカリ梅等は今の私に必需品です。

 先月に登った黒戸尾根日帰り(甲斐駒ケ岳)と比較をすると、
 両峰、挑戦的な手強いコースの一言です。
 今回は黒戸尾根歩きの時と違って、体調も天候もコンディション的に良く、
 森林限界から素晴らしい景色を
 眺められましたので、気分的に今回の方が楽な展開になりました。
 ・参考にした雑誌、ヤマケイ7月号、8月号 
 ・参考にさせて頂いたホームページ●気ままな男の山歩きsan 

天候 : 晴れのち曇り
全く当てにならない疲労度 ★★★★☆ ※往復運転も含めて
出会った人 100人位 ※山頂付近で多数

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