碓氷峠  旧中山道

旧中山道 碓氷峠  横川駅⇒軽井沢駅    yahoo地図 

横川駅標高387m ・碓氷峠頂上標高1,200m 標高差、約813m 歩行距離、約17.5km 

横川駅(am9:42)⇒坂本宿(am10:10)⇒旧碓氷峠入口(am10:35)⇒覗き(am11:00〜11:05)⇒堀切(pm11:30)⇒山中茶屋跡(pm12:13)⇒熊野神社と見晴台(pm13:05〜13:18)⇒軽井沢駅(pm14:40)    

 
(歩行時間4時間40分:全所要時間4時間58分) am9:42〜pm14:40   2013年10月28日のnewレポへ!
昔の面影が残る旧中山道(碓氷越え)は鎌倉時代からあった主要街道で、碓氷峠は中山道最大の難所として知られていました。江戸時代には道が整備されて、関所や坂本宿、軽井沢宿等がもうけられました。しかしながら険しい急坂がつづく難路であった為、明治19年に中山道は南方に開削された新道(旧18号)にうつり、新峠がつくられました。昭和46年に碓氷バイパスが開通され、上信越高速道は平成5年に、開通されました。現在では昔の面影を残してハイキングルートとして活用されている街道跡を横川駅から辿ります。道中の各案内板から察して、当時は旅人で賑やかっていた様子が伺え、後半からは放置廃車&廃墟の風景が目に映りました。峠の先に由緒ある熊野神社があり、かつては旅人が道中の安全を祈願したといわれます。近くには見晴台があり、上毛三山や浅間山などがみわたせる眺望の名所となっています。帰りは軽井沢駅から横川駅行きのJRバスを利用しました。
※歩行時間は単行動なので調子や気分によって違いますので参考にはなりません。


 デジブックで編集しました。(注!再生するとBGMが流れます)    2009/11/10
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旧中山道入口の標識
碓氷峠は江戸時代に中仙道で関東と信越・北陸の間の重要な位置づけで、今でも関所の跡が残っています。当時は常峰番所が置かれていて、関所破りを見張っていました。
横川駅の無料駐車場に最後の駐車スペースに車を置き、鉄道文化むらのアプトの道から歩き始めます。鉄道文化むらは信越本線の廃線跡を利用して碓氷峠で活躍した鉄道車両、国鉄時代の貴重な車両などを展示・公開しています。期間限定でトロッコ列車も運行されています。
碓氷関所跡はアプトの道を外れ、横川駅から歩いて5分ぐらいです。碓氷バイパスとの分岐を旧道から歩きます。久しぶりに関所ラーメンを食べたかったけど、残念ながら定休日でした。
坂本宿に入ります。江戸時代に幕命で計画的に作られた宿場で、刎石山に向かって広い宿場道が伸びています。
ここに本陣、脇本陣、馬宿、旅籠40件ほど、酒屋、風呂屋、米屋等などの店が並んだ賑やかな宿場でした。現在でも当時の建物がいくつか残っています。宿場の面影を残した家並みが続き、辺り一帯は人の気配はなく、ただただ車が通り過ぎていきます。
宿場最後に食堂跡が4件ほどあり、手前には八幡神社がありますのでお参りをしてから又、歩き始めます。
軽井沢17kmの標識の下に鉄塔がありますが、今から鉄塔の真下を歩いて刎石山を登ります。
すぐに旧18号が右に大きくカーブするところで、旧中山道は大きな貯水タンクの左を進みます。

 
すぐ右に行き、真っ直ぐ進んで突き当たったら左に曲がり、中山道の道標がありますので右に階段状の道を登り旧18号が目の前です。※この辺りまでは分かりずらいかも?
旧18号を横断すると峠入口のバス停跡が見えます。旧中山道入口に到着です。ここからは山道になり、熊野神社まで8.3キロ。登山口には熊出没注意と、猿にエサを与えると危険です!の注意看板がありますので熊鈴を用意します。※毎年5月に侍マラソンが開催されているコースです。
 
登り口から結構な急坂で、暗い樹林帯の中を熊鈴を鳴らしながら進むと、坂本宿から見えた鉄塔の下に出ます。枯葉の中を歩き、道端には安政遠足(とおあし)道標が熊野神社まで所々立っていて、単行動の貸切道中には大変心強いです。
瓦礫の続く道を上がると、やがて柱状節理の説明版がある場所に着き、火成岩が冷却し柱状に割れた岩盤が露出しています。左には馬頭観音・大日尊などの石碑が並んでいました。
上り地蔵・下り地蔵の案内板がありますが、地蔵様は見当たりませんでした。覗きに到着し、このルートで唯一、安中方面を一望出来る場所に出ます。坂本宿がよく見える場所でおにぎりを食べ、一息入れます。
弘法の井戸は今でも水が出ていて大きなひしゃくが置いてあり、井戸を覗くと、枯れ葉が浮いていて飲めそうにはありません。少し歩くと四軒の茶屋跡があり、石垣跡が残っていて江戸時代には多くの旅人で賑わっていたのでしょうね。
平坦な道を過ぎ、左手には碓氷坂の関所跡の看板と東屋があり、ゆっくり休憩出来る唯一の場所です。熊野神社まであと6.4kmです。

堀切までの景色の無い尾根道は紅葉の真っ最中ですので、しばし眺め立ち止ります。
両側が切られている堀切です。天正18年豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を,松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所と新しい案内板に書いてありますが、古い案内板を撮ってみました。
一里塚を過ぎると柵の丸太の上に真新しい“ねずみの小さな縫いぐるみ”が置いて(飾って?)あり、元気を頂きました・・・。置いてくださったお方に感謝!感謝です。
座頭ころがしの坂道になり、岩や小石がゴロゴロしている場所を過ぎると!何処から入れたか全く解らない不思議な廃車があります。(トヨタマークUセダン・・・どうやって君は来たの???) 多分、軽井沢側から無理やり入れたのだと思いますが、道幅は極端に狭い場所があり、タイヤを斜面に乗り上げたりしてぶつけながら来たんでしょうね!このど根性は、違った形で使った方が良かったと思いますが・・・。

栗が原という案内板があり、明治天皇御巡幸道路と中山道の別れる広い場所に着きます。明治8年群馬県で最初の見回り方屯所が作られた。これが交番の始まりというらしいです。

山中茶屋跡には寛文2年(1662年)には13軒の立場茶屋があり、学校もあったらしい。明治11年の明治天皇北陸巡幸のさい、児童が25人いたので、25円の奨学金の下附があって、奉公官から十円の寄付があったみたいです。
崩壊寸前の小屋(山中茶屋跡付近)を過ぎると、自力侵入可能な場所に廃車が捨てられていました。(トヨペットコロナ)です。この付近から、道幅が広くなっていて、「危険 この先は通り抜けできません Uターンもできません」の看板があります。
廃墟化した別荘が左右に2軒あり、私の気配に気付き猿が騒いでいましたので住家になっているみたいです。今度はバスの放置?車内の座席が全部取り払われていたので休憩所か物売り場として利用されていたのでしょうか?
一つ家跡で付近に老婆がいて旅人を苦しめたと不気味な文章が、碓氷峠の鬼女・山姥伝説だそうです。伝説では、山姥は深山に住み、無慈悲で荒々しい想像上の女とされてます・・・。その後、道は抉られていてやな感じになってきました。
分かれ道です。迷ったあげく侍マラソンコースの右へ進みます。(旧道は左側を進みます)今度は土砂に埋もれた放置廃車です。(通称クジラクラウン・ハードトップ) ※私が10代の頃、乗っていた車種ですが、非常に寂しく感じました。
しっかりした標識の分岐に到着し、熊野神社1.2kmを見て一安心です。付近には本日最後の放置廃車(スバル・レオーネ)
旧道との合流地点の仁王門跡です。一歩きで見晴亭に到着ですが、休業していました。
熊野神社に到着!祀神は伊邪那美命と日本武尊です。神社の真ん中が長野県と群馬県の県境になっているのが賽銭箱で分かります。
 
見晴台からの眺望は少しガスっていましたが、妙義を始め上州の山々と長野県側からは浅間山・離山等が良く見えます。
碓氷峠遊覧歩道を歩きます。「熊の生息地域」の注意看板があり、しばらく標識沿いに下っていくと橋が見えてきます。橋を渡ると別荘が見えてきて道は広くなり、やがて車道と合流します。
軽井沢銀座は、観光客で賑やかで、つるや旅館を横目に過ぎ、明治期から100年以上にわたって営業している土屋写真店で軽井沢の歴史ある写真をしばらく拝見です。店頭ではハガキサイズが300円で売られていました。※辺りを見渡すと紳士・淑女が綺麗な格好で歩いています。私は何処から見ても山帰りの格好ですので浮いていました。
ボンネットバスを使って軽井沢銀座と見晴台を往復できます。11月の軽井沢は昼過ぎには気温が下がって寒くなってきました。バス発車時間まで随分時間があるので、軽井沢プリンスショッピングプラザ内の大華で味玉ラーメン(900円)を頂き、温まります。
横川駅行きのJRバス15:30分発に乗ります。軽井沢駅から横川駅直行便で片道約34分で500円!4人だけの乗車なので大型バスの広い空間は贅沢でした。本日の締めくくりは、お気に入りの上増田の砦の湯で疲れを癒します。
おまけ 
 歴史を辿る、旧中山道難所の峠越えは各案内板から察して、当時は旅人で賑やかっていた
 様子が伺え、熊野神社まで貸切道中を堪能できました。後半からは廃車&廃墟巡りに
 近い風景が目に映り、複雑な感じになって来ましたが、熊野神社手前で人の姿を目にした瞬間!
 安堵しました。 群馬の山歩き130選の一座、碓氷峠旧道下りを横川駅から軽井沢駅まで
 歩く逆コースは確かに満足出来ました。※本日のコースは熊の生息地域なので
 くれぐれも気をつけましょう。

天候 :晴れのち曇り
出会った人=旧中山道 寂しい貸切道中でした。
全く当てにならない疲労度:★★☆☆☆  


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